周辺の見どころ

宿場町ひらふくの
周辺の見どころ
Highlights around the post town Hirafuku

宿場町 平福
今に残る町並みは、江戸時代初期、池田氏により城下町として整備されました。

その後、一国一城令により利神城が廃城となったため城下町としての歴史は短いですが、陣屋や鳥取藩本陣が置かれ因幡街道有数の宿場町として発展。南北1.2kmの区域300戸余りの家の約8割に屋号がつく商人の町となり、昭和初期まで因幡街道および佐用の中心として繁栄しました。

旧街道沿いにある連小窓と千本格子を持つ古い家並みや、佐用川沿いの石垣上の土蔵群が、往時の面影を今に伝えています。

下のマップに見どころの詳細がまとめてありますので、気になる場所を確認してください。

下のマップを指で動かして確認していただけます。

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宮本武蔵初決闘の場

慶長元(1596)年、武蔵13歳とき、新当流有馬喜兵衛の「何人なりとも望みしだい手合わせいたすべし、われこそ日下無双兵法者なり」という高札を見て初めての決闘をいどみ、一刀のもと倒したといわれています。五輪書序文の一節の碑があります。

川端風景

平福は慶長・元和年間(1596~1623)に城下町として現在の町並みが形成されましたが、わずか30年でその用を終えました。その後、経済的・文化的な繁栄に伴い、因幡街道有数の宿場町として生まれ変わりました。歴史の流れに従いその役割も終え、今は清閑なたたずまいのなかにその面影を残しています。佐用川沿いの石垣に並ぶ川座敷、土蔵群は平福ならではの景観として特に有名です。

天満神社

平安前期に学者・政治家として活躍し、今が学問の神として有名な菅原道真が祀られています。毎年6月中旬に夏祭、10月中旬に秋祭が行われます。

本陣跡

鳥取池田藩の本陣跡、加古郡神吉城の落城により神吉頼定の子、宗臣(当時8歳)が再興を願って平福にきました。関ケ原の戦いに参加しての帰国後、ここを本陣として大年寄りになりました。
現在は素戔嗚神社(すさのお)の“お旅所”になっています。中溝を隔てて700坪余りの広大なものであったといわれていますが、一角に残る老松がその広さを物語っています。

鷲栖山霊山院正覚寺<浄土宗>

わしゅうざんれいざんいんしょうかくじ
インドの帰化僧・法道仙人が庵村の山に鷲栖山と名づけ住み、後に行基菩薩が巡行し庵を結びました。永禄10(1567)年、平福に遷し、寺号を正覚寺と改めました。それから代々の領主の菩提寺となりました。また、江戸時代後期から地蔵菩薩を祀り、子授け・子育てのお寺として崇められています。

平福郷土館・牢屋敷跡

江戸時代の町屋の代表的な建築様式を再現した資料館です。大屋根の煙り出し、くぐり戸のついて吊り上げ戸、葬式の際の出棺にだけ使う出口などの特徴があり、館内には宿場を支えてきた商家の商い用具や民具類、利神城ゆかりの品などを展示しています。ここには、昔、牢屋敷があったと言われています。

法師塚・しゃくなげの里

弘法大師の教えを世に広めようと、高野山の名僧・恵念法師が各地を巡行中、この地で病死されたのを村人たちが手厚く葬り、塚を建立してその徳を偲びました。今は立派なお堂が建てられ、信仰の地になっています。4~5月にはこの山の傾斜を利用した大規模なしゃくなげ園に150種1万本のしゃくなげが咲き誇ります。

十輪山光明寺<真言宗>

養老3(719)年行基菩薩が開創された播磨六地蔵の一つです。古くから安産守護の子安大師の腹帯授与のご信仰をいただいています。また、不老長寿の寿老尊もお祀りしており、西日本播磨美作七福神霊場の一つとしても親しまれています。境内から町並みが一望できる光明寺では、8月になると風鈴まつりが行われます。

利神城跡

利神城は貞和5(1349)年、赤松一族の別所敦範が利神山山頂に城を築いたことに始まります。慶長5(1600)年、関ケ原の戦いのあと、池田輝政の甥・池田出羽守由之が2万2千石で領主となりました。
由之は5年の歳月をかけて広壮な城郭を造営し、山麓には城主屋敷、武家屋敷を配しました。さらに街道沿いに町人地(現:平福宿場町)を設けるなど、城下町の建設にも尽力しました。3層の天守は、あたかも雲を衝くが如き威容から「雲突城」と呼ばれましたが、一国一城令により廃城になりました。

平福駅

兵庫県赤穂郡上郡駅から鳥取権八頭郡智頭駅に至る智頭急行智頭線の駅で「近畿の駅百選」にも認定されたこともあり、数少ない旅客通路(線路を横断する通路)のある駅です。近くには「スーパーはくと」と桜、トンネルを撮影できるスポットがあり、鉄道ファンからも人気の駅です。

佐用町の見どころ
Points of Sayocho

佐用町(さようちょう)は、兵庫県の南西部、岡山県との県境に位置する町です。

古くは奈良時代初期(西暦700年頃)に編纂された『播磨国風土記』に「讃容の郡(さよのこおり)」という地名と当時の土地の様子が記されており、肥沃な土壌であったことや、鉄の採掘が行なわれていたことなどが伺えます。
江戸時代には利神城の城下町として、また山陽側と山陰側を結ぶ「因幡街道」の宿場町として栄え、現在でも佐用町平福地区には宿場町の面影が残っています。
また町内には、国史跡 利神城跡をはじめとする多くの城跡や史跡、建築物等があり、歴史と共にこの土地の伝統や技法をいまに伝えています。

また、約100万本の花々が咲き誇る広大なひまわり畑が見られることから、「ひまわりの町」として有名な佐用町。
初夏には幻想的な蛍が、冬の朝には神秘的な朝霧が町を覆います。
こういった「日本の郷土風景」も町の大きな魅力のひとつです。